vol.3丸良興業有限会社

代表取締役 虻川 良太郎

虻川良太郎さんが丸良興業有限会社の代表取締役に就任したのは、2015年5月のことだった。ちょうど丸良興業が創業40年を迎えた時のことである。創業から代表取締役を務めてきた父・良雄さんの病気や、変動する景気と業界を取り巻く環境の変化の荒波のなかで、2代目社長として丸良興業第二の創業期を託された良太郎さんの想いと取り組みについてお話を伺った。

クレーンオペレーションと修理が行える専門性のもとで

虻川良雄さんが丸良興業を興したのは、1975(昭和50)年のことであった。秋田から東京へ上京しクレーンの修理工と運転手をしていた良雄さんが、勤め先の勧めを受け独立し
たことから始まる。多くのクレーンオペレーターは運転のみの知識しか持たないが、丸良興業は修理まで行うことができることを強みに、ゆっくりと確実にお客様を増やしていった。
クレーンの修理を自前で行えることは、クレーンを長く使い続けることができることに加え、操作の高い専門性にも繋がる強みでありバブル崩壊などの苦しい局面も乗り越えてきたが、リーマンショックを契機に大きな問題に直面することになった。売り上げ単価が下がり、それに反比例するように長年使い続けてきたクレーンの修理代がかさんだことで、経営状態が悪化したのである。
良太郎さんは当時を振り返り、父である良雄さんが「会社をたたもうか」と悩んでいたことを思い返すという。会社存続か廃業か。丸良興業は、大きな岐路に立たされたのであった。

不退転の決意

悪化する経営状態のなかでも、良太郎さんは先を見据えていたという。「景気はいずれ良くなると思っていましたし、今の苦しさをなんとかしのぐことができれば、廃業してしまった他の会社の分、仕事がくるだろうと思っていました」良太郎さんはそう述懐する。受注難で仕事がとれず車庫で待機するしかない状況を打破すべく、新規営業に注力することとなった。これまで丸良興業を支えてきたのは、紹介による案件が中心で大きな営業活動は展開していなかったという。良太郎さんが中心となり、飛び込みでの営業を開始した。ノウハウのないがむしゃらな営業活動は大きな成果には結びつかなかったというが、一年を過ぎ始めたころから景気が徐々に上向きになっていった。

「みんな親父が好きで残ってくれるけど、
やり方を変えなくちゃいけない時がきてる」

景気が良くなりはじめたことで経営は安定するかと思われたが、新たな問題が浮上した。丸良興業の職人たちは修理まで担える優秀な人材がそろっており、古いクレーンを修理しながら使い続けてきたが、修理手当を出すことができなかった。そのため、条件の良いヘッドハンティングによる職人たちの退職が続いたのである。加えて、代表取締役であった良雄さんの癌が発覚する。
「今度こそ会社がどうなってしまうんだろうという感じがしましたね」良太郎さんは振り返る。「そんな中でも残ってくれている職人さんたちもいて、その理由を尋ねました。その職人さんたちの想いを、ぼくは親父に素直に伝えることにしたんです」
「みんな親父が好きで残ってくれてるけど、やり方を変えなくちゃいけない時がきてる。俺が社長代わるから、代替わりして頑張っていかないか」こうして、丸良興業は第二の創業を迎えたのであった。

大いなる飛躍に向けた設備投資

第二の創業を迎え、受注拡大に向けて良太郎さんは新たな取り組みを開始する。その1つがクレーンの新調である。修理費がかさみ職人への負担となってしまったのは、クレーンの老朽化が大きな原因であった。これを解決すべく、総額5億を投資し8台のクレーンを購入することになった。廃業するかどうかという窮地から多額の投資にまで決意させたのは、オリンピック受注の見込みも大きかったという。そのため、公共事業発注の受け皿となるべく、通常の高所作業車では届かない高さでの作業を可能にするスカイボックスを購入する。あわせて、経済産業省の経営革新計画の承認を得た。スカイボックスにより作業可能となった高さは、一般的には認められておらず、経営革新計画はその認可のために不可欠であった。こうした設備と認可を受けている企業は東京にはほぼ存在しない。攻めの一手を打ったのである。また積載量120tのクレーンも導入し、受注のための環境を整えていった。

ソフト面の強化

設備を整えるだけでは、仕事を受注し良い仕事を完遂することはできない。丸良興業では、営業強化の取り組みも進めている。
「建設職人甲子園そしてGCUの繋がりで、GCUの中村理事長と営業に同行させていただき、本職の営業マンの折衝に触れ驚きました。丸良興業では営業出身の人間がいなかったので、学ぶことがたくさんあります」良太郎さんはこうした発見のなかで、営業強化を推し進め、新規受注の手応えを感じているという。「修理もできるという高い専門性を持つ企業として、他の企業に負けない仕事とご提案ができます。こうした弊社の魅力をきっちりとお客様に伝える営業力が少しずつ身についてきたように思います」
また職人の人材強化のため、高卒社員の採用を開始した。それまで中途採用しかしていなかったが、ゼロから仕事の仕方を学んでもらいたいという想いであったという。「中途でも未経験者を採用するようにしました。ゼロから教えたほうが、吸収も早いですし、一緒に成長していけますから」良太郎さんは語る。

「本物を! 信じられる仲間と」

「本物を! 信じられる仲間と」仕事への想いとして掲げて新たに制定した丸良興業の経営理念である。「ぼくは昔スノーボードをやっていました。その時に、ナンバーワンと言われていた人の滑りをみて、ものすごく感動したんです。人に驚きと感動を与える、これが本物だと」良太郎さんは続けてクレーン業の「本物」を熱く語る。「設備やハード面はお金さえ出せば整えられるんです。でもそれだけでは本物じゃない。信じられる仲間と知恵を絞って一生懸命仕事をして、それでやっと人に感動してもらえる。設備投資だけじゃなくて、営業強化しようとしたことも人材育成をゼロから初めていこうとしたことも、本物の技でお客様を喜んでいただきたいからです。そして、職人さんの地位向上や地域社会への貢献を通じて日本を元気にしていきたいです」
向かい風にも負けず、第二の創業期の大きな一歩を踏み出した丸良興業。二代目社長虻川良太郎さんの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。