vol.4楓工務店

代表取締役 田尻 忠義

「数千万円出して、机の高さも決められへん。何が注文住宅や」大工時代の田尻さんがお客様から受けた叱責。発注元の決定に従うことしかできなかった田尻さんは、そのときに強烈に違和感を持ったという。
現場の作業員、大工、そして新築住宅を請け負う工務店。住宅作りに関わり続けながらも、「いい家を作る」ために駆け抜けてきたあゆみを伺った。

だれにも足を引っ張られたくない

中学校卒業後、やりたいことがあったわけでもなく、早く社会に出たいという思いから何気なく土木作業員の道を選んだという田尻さん。「今から思えば、あのころは欲求の満たし方が本能に近かった。お金稼いで夜に友達と遊びに行く。それが魅力やった。仕事でも、穴掘るのは誰にも負けへんとか。これじゃあかんねんけど、当時はそれはわからへんかった」厳しい土建会社でひたすら働いた6年間。当時の自分を振り返り未熟だったと語る田尻さん。なかでも理解できなかったことは、「チームでの仕事」だった。自分一人では完成させることができない仕事がストレスだったという。「作業の仕事は危険も伴うわけ。当時の俺は、自分が一番仕事できるっていううぬぼれがあったから、他の人のせいで危険に陥ったりリスクを抱えるのが耐えられへんかった。あと、これから自分がどうなっていくんか先のことが想像できひんかったのも嫌やったな」
そんななかで、一作業員としてではなく、現場を自分が采配できる役割に憧れを持つようになった。そんなときに友人から大工になることを勧められた。「大工になるんはしんどいけど、現場では王様や。現場のリーダーとして、いろんな人をまとめながら、数ヶ月かけて一軒の家を建てる仕事。そう聞いて、ええな思った。『一番偉い』っていうのがその時は一番俺の中で響いてた」大きな目標を得て、田尻さんは大工として新たな一歩を踏み出したのであった

わずか10cmを高くする権利

作業員から大工になり、現場で「一番偉い」立場になった田尻さん。しかし、実際に大工として働くようになって感じたのは、自由さではなくむしろ不自由さであったという。「大工さんは図面を形にするのが仕事やから、実はどういう風に作るかを決める決定権はないわけ」田尻さんはある出来事を通して、そのことを強く実感することになった。それは、背の低い奥さんの要望を受けた仕事だった。施主である奥さんが工事の経過を気にして、現場に来られた際、キッチンを少し高くしてほしいという要望を口にされた。田尻さんはそれを元請け企業へ施主の要望として伝えたが、「図面通りに作るように」という指示がくだった。「俺にとっては、キッチンがそのままだろうが高かろうが作業量としてはそんなに変わらへんわけで、それやったらお客さんがいいと思ってるほうを作ってあげたい。けど、パッケージとしてモデルハウスで出してるもんをそのまま売るっていう方針やったら、それを変える権利はないわけ」田尻さんは違和感を覚えながらも、施主の奥さんに変更ができないことを伝えてほしい旨を元請け企業に話し、元の高さのまま工事を進めていった。そして完成した際、笑顔で家を見つめていた奥さんがキッチンの高さが変更されていないことに気づき、激怒されたという。「数千万円出して、机の高さも決められへん。何が注文住宅や」当時の田尻さんにはそれはどうすることもできなかった。しかし、それをどうすることもできないまま人に恨まれることに強烈にストレスを感じたという。
「せっかくやったら喜ばれたいのに、恨まれる。当時は、大工がなりたい仕事ランキング一位で、うちの息子も俺の仕事を自慢に思ってくれてた。でも、実際に大工が曝されてる現実とすごいギャップがあるわけ。じゃあどうすんのって考えたときに、設計も打ち合わせも、どっちもできる役割を目指すしかないなって」
いい家を作る。そのための、田尻さんのさらなる挑戦が幕を開ける。

大工の会社ごっこ

大工を辞め、弟と二人で工務店として歩み出した新たな道の第一歩は、会社を知ってもらうことだった。実績もなく知名度もない状態からのスタートとなった。まずはリフォームの仕事を取るために、タウンページに広告を出した。「大きなビルは建てられませんが住宅のことならなんでも。鍵の交換から注文住宅まで」その売り出し文句で問い合わせがあったのは、「鍵の交換」のような仕事が中心だった。下請けはしないと誓いをたてて、こつこつ仕事を受けていった。「仕事は忙しかったから儲けてるような気がしてたけど、実際は全く採算は合わへん。その日その日を忙しくしてればいい社員時代と違って、経営せなあかん」
こうして一年が経過した時に、ある経営者の知人から自社の財務状況を聞かれたが、その問いに答えられなかったという。「『ああ、それは大工の会社ごっこやな』言われてカチーンきた。けど、それはその人のいう通りやねん。やから負けへんぞって経理のことを一から勉強しだした」平均受注金額、利益、自社の損益分岐点、様々な数値を算出していくなかで、自社の経営が非常にまずい状態であることがわかってきた。このままこつこつ仕事をしていっただけでは、到底経営は安定しない。その時に田尻さんは、いずれ倒産するなら今やりたいこと、やるべきことにチャレンジしようと決めたという。「新築をやりたい。注文住宅を受注したい。そのために、できることはやろう思ってん。嫁名義で、自分たちの家を建てた。銀行から借りた資金で半年は持つから、そこでなんとか注文を伸ばしていこうって。もしできひんかったら、もう解散しかない。会社畳んで、嫁と別れて、一人で大工に戻ろうって」
決死の覚悟ではじめた注文住宅の仕事だったが、いい家を作りたいという想いを通じて、発注が数珠つなぎのように広がっていったという。「いい家って言っても、お客さんは機能がいいとか設備がいい家を求めてるわけちゃうねん。笑顔で暮らせる幸せな生活を、家を通じて実現しようとしてる」若い頃の経験を通して、お客さんが本当に必要なものを、ともに話し合い、設計し、施工することの重要さを実践している楓工務店だからこそ成し遂げられたことかもしれない。
「昔は欲求が本能に近かったけど、プロはそれじゃあかん。綺麗事に聞こえるかもしれんけど、仕事っていうのは本質的には自分のやったことで社会に認められるってこと。やから、貢献できたり認められたり喜ばれたり。自分がやった役割の先でどういうことが起こってるかを想像できなあかん。今は、あの頃から少しは成長して、そういう思考で仕事できるようになった」

人を育てる

新築の仕事が増えてきたころ、弟や知り合いといった身内ではない社員が入社した。それを機に、会社としての体制をより一層充実させるべく、大学卒の新卒採用を開始した。2012年のことだった。新卒採用は功を奏し大きく売り上げを伸ばしていくことに成功したというが、その背景には、田尻さん自身の経験を踏まえた人材育成の哲学があった。
それは「今やっている仕事がどういうことかをわからせること」「成長のために必要なことを教えること」「その仕事の先に、どんな将来があるのか提示すること」「円滑な関係性を職場に整えること」の4つだ。それは、作業員時代に田尻さんが感じた「未来の見えなさ」をはじめとする経験から導かれた哲学だった。
「今の大卒の子らはすごく頭いい。けど、これまでは教えてもらう立場やったから、人に与える立場になったときに、どうしたらそれができるのか、スキームとかノウハウがないわけ。だから、そのやり方を教えてあげなあかん」見て習う「見習い」の姿勢は尊いと前置きしたうえで、田尻さんは伝達することができるのであれば、積極的にしていくべきだと語る。「教え方はちゃんと仕組みになってなあかん。うちでは、新卒で入ってきた一期生にお願いして一緒に仕組みを作ってきた。真っ白な紙に線を引いていく。足跡を一緒に残していってほしいとお願いした。いわゆるマニュアル整備やな」こうして育成環境を整え、離職率40%を超える業界にあっても、スタッフたちの高い士気を生み出し、お客さ様の笑顔の暮らしを創造している。
「いい家を建てて喜んでもらいたいという想いが明確で、昔の苦労もあって経理基盤も強固に作ってる。自分がこれまで経験してきたからこそ、スタッフにも、大工さんたち協力してくれる人たちにも、お客さんにも、そして社会にも貢献していきたいという気持ちが揺るがへん。やから、みんなの満足度を追求しつづけられるんやと思います」
ぶれることのない「お客さんに喜んでもらえるいい家をつくりたい」という軸ができて以来、家づくりの全てを担うために、ステップアップしつづけてきた田尻さんのあゆみ。これまで以上に価値観が多様化していく時代にあっても、楓工務店の目指すところが変わることはない。