vol.5株式会社芦田

代表取締役 芦田 衛

「俺が社長になるって勝手に決めとってん」スーツを着て打ち合わせをする父の姿をみて、当時小学生だった芦田さんは心に決めたという。豪快で痛快なその口調から語られるこれまでのあゆみからは、その軽妙な口ぶりとは裏腹に、波乱万丈な出来事に、真面目に愚直に立ち向かってきた芦田さんの姿勢と哲学を明らかにしてくれた。

どうせろくな営業もできひんねんから、できることをするしかない

芦田さんは幼心ながらにも父の会社を継ぐと心に決めていた。父もそのつもりで、日常会話のなかで当然のように会社を継ぐ話も登場したという。父からは「すぐには会社にはいれへん、外で勉強してこい」と言われていた。そうして大学中退後、芦田さんが勤めることになったのは埼玉にあるエクステリア会社であった。芦田さんはその会社で営業マンとして4年ほどを経験したが、契約を次々に獲得してくるようなスーパー営業マンとは程遠い日々だったという。営業マン時代の出来事を臨場感たっぷりに語ってくれる芦田さんは、意外にもかつては口下手だったと言う。「話もそんなにうまくないし、ボキャブラリーもないからお客さんのとこいっても会話が弾まへん。しかも関西弁まるだしのへんなやつ、みたいにな」
そんな芦田さんが選んだ営業方法は「トラックに小さなほうきと雑巾を積む」という小さな心遣いだった。「どうせろくな営業もできひんねんから、できることをするしかないやん。工務店とかはどうしても店内も汚れてたりするから、ほうきで店内を掃いて、ラックにあるパンフレット全部拭いていってん。で、綺麗に並べて、自分のとこの冊子を多めに置いたりしてな」当時芦田さんが勤めていた企業では朝礼時に掃除時間があった。自身の机の砂埃などを拭きあげることで気持ちが良くなったことを思い出し、自分が気持ちいいことならみんな気持ちいいはずだと考えて、営業先で掃除を始めたという。
「『なんで自分からわざわざお客さんが買うてくれるようになるのか』そればっかり考えた。お客さんの気持ちになって考えてん」
みんながあっと驚くような、必殺技ではない。小さくてもできることをこつこつとやる。そんな些細だが難しいことを、芦田さんは徹底して実践しつづけたのであった。

「私も我慢して居てやってる」

25歳になった頃、父から帰ってこいと言われたことをきっかけに大阪に戻り、会社に入社することとなった。入社まもない芦田さんが目の当たりにしたのは、「企業」とは程遠い姿をした自分の会社であったという。朝礼もなく遅刻も常態化しており、ルールや規範が整っていなかった。また、目標も明らかではなく父のもとでワンマン経営の「家業」状態だった。芦田さんは組織を変えるために、規範を作り積極的に人材採用に乗り出すことを決めた。「そんときは社員のモチベーションもすごい低かった。人材採用しだしたら、『こんな会社に人なんて集まるわけない、私も我慢して居てやってる』って言われた。カチンきて、何がなんでも成功さしたるって」
芦田さんの目指す規範のある企業になるため新卒採用を始めることになったが、そのときの募集文句は「専務、募集!」というフレーズに決めた。ともに規範づくりをして、将来的にともに経営を担えるような人材を育成していきたいという想いの現れであった。「会社のなかでどれだけ自分の影響力を発揮できるか、そういう陣取り合戦やった。俺は、規範作りしていい組織を作っていくことが絶対欠かせへん思ったから、それができる人間を採用していってん」
かつて埼玉の会社では当たり前のようにあった規範。自社においてもその当たり前を実現するために、当時専務であった芦田さんは組織作りをおし進めていったのであった。

家業から企業へ

その後、社長に就任し経営者となった芦田さんは、まだまだ家業を続けている株式会社芦田を企業へ格上げしなければならないと痛感した。「長く続いた家業の雰囲気の名残が残ってた。自分が経営者になって、それをすごく意識するようになった。昔、父から叱責を受けた幹部が『俺は芦田家のために働いてるんちゃうねん』っていってたことがすごいショックやった」
社員の幸せを実現し、公器として社会に貢献していく。そんな企業になるためには経営理念が必要だと芦田さんは痛感したという。「社長就任がいい機会やと思って、規範や方針を明文化した経営理念を導入してん。それがなかったら俺は社長ってあだ名のバカ息子やったかもしれん」芦田さんは続けて経営理念の重要性を語る。「規範とかルールを知らしめる、将来の目標を共通化する、ぶれない経営を実践していく。企業にとってはほんまは当たり前のことやけど、経営理念がないとこれが実現できひん」経営理念は毎日の朝礼で唱和する。経営理念の重要性を強く実感した芦田さんは、その効果を広めるべく『小さな会社のワクワク経営理念』という一冊の本を認めた。

七転び八起き

専務から社長へ。強固な組織作りのためにがむしゃらに仕事を続けてきた芦田さんだったが、その道中は平坦なものではなかった。売り上げが大きく下がり、経営不振に陥ることは何度もあったという。そんな中でも、特に専務時代に大きく経営が傾いたことがあったという。「会社が傾くなかでなんとか切り盛りする親父を助けなあかん。仕事は精一杯やってたけどそれでもあかん。そんときに俺ができることは家を売ることくらいしかなかった」自分にできることをする。東京での営業時代から芦田さんが心がけてきたことだ。傾く会社を守るため、家を売る決意をした。「家族もおった。けど、迷惑かけるわけにはいかんから、嫁には別れてくれって」決死の覚悟で生み出した資金はすぐに底をついた。しかしその後、社員の協力の甲斐もあり、会社を立て直すことに成功した。「嫁には怒られたで。『これまでええ想いもさしてもろてきた。そんなことぐらいで別れるなんて言わんといてくれ』って」芦田さんは噛みしめるように「俺には出来すぎた女房や」と口にする。

経営理念が花開くとき

2015年12月。経営理念、ビジョン、目的と必要なものが揃い、経営理念から個人の目標まで一気通貫でようやく浸透した頃のことである。
芦田さんは体調不良のため病院に向かった。次に芦田さんに「自覚」が戻ったのは、一月後、2016年1月末のことだったという。「直径4cmの脳腫瘍。意識はあったし会話もしてたんやけど、そのときの記憶が全くない。気づいたときには一月が経過してた」改めて自分の病状を把握し、命の危険を知り、家族も不安に怯えていた。芦田さんは、脳科学に立脚したイメージトレーニングで、強く立ち向かい病気と対話する日々を送った。
と同時に、社長として会社の立て直しを急ごうとした。「待ったなしで経営ができひんくなったわけや。会社はどうなっててもおかしない。けど、資金繰りだけはきっちりしてたから向こう一年は資金面ではどうにかなってた。あとは社員の自信だけや。社長として、不安な社員を勇気付けなあかん」
この頃になると、社長の不在という緊急事態でも「企業」としてぶれずに目標に向かっていく経営理念が株式会社芦田には備わっていた。ワンマン経営の家業でしかなかった株式会社芦田において、芦田さんが性根を込めて取り組んできた組織作りと経営理念が花開いたのであった。病室の芦田さんのもとには毎日社員からの日報が届いた。「俺は心配ない。お前ら頑張ってくれって言うた。メールやけど、確かに社員と繋がってる、そのことがすごくありがたかった。『営業先でこういうことがあった』って報告がきたら『次はこのアプローチでいってみろ』って相談もできた」
新規受注を報告してくれる社員とは手放しで喜び合った。「ようやった。その報告が注射一本よりも効くわ」その時の決算は、昨年よりも利益が高かったという。「社長がおらんほうがええんやんけ」と芦田さんは冗談交じりに笑う。

株式会社芦田の未来

株式会社芦田では新たな取り組みとして、お客様強化を目指し「コンサル営業」を開始している。「エクステリアっていうのは、エンドユーザーである消費者が、まだまだどこで買うたらええんかわかってへん商品や。ホームセンターにちょろっとあるくらいで、あとは住宅メーカーやらが備えてくれるもんもんで、自分で好きに買えるもんという意識が浸透してない、それがチャンスやと思ってる」芦田のお客様は造園・リフォーム・外構工事会社などが中心である。こうしたお客様が直接エンドユーザーに向けて商売することができ、地域のなかで活躍していけるようにタッグを組む業務だ。協力し、ようやく軌道に乗るというときに、より安い商材を求めて違う商社へ発注するお客さんも少なからず存在するという。しかし、新たな取り組みの手を緩めることはない。
芦田の経営理念はこうだ。「1.元気な挨拶、元気創造企業 2.暮らしを見つめ「楽しいと幸せ」「健康とゆとり」を創造する企業 3.変化を恐れず未来に取り組む企業」。
一貫した理念のもと、元気に仕事に取り組み、お客さんを信用し幸福を創造し、変化を恐れることなく未来の社会に貢献していくというぶれることない想い。その想いを軸に、明るい未来に向かって、株式会社芦田は日々業務に取り組んでいる。